福島県いわき市に移住してからの日常風景の一つに、地元のローカルラジオ(FMいわき)にチューニングを合わせ、生電波で番組を聴きながら過ごす時間があります。
今日、いつものようにラジオを流していると、あるリスナーからのメッセージが耳に留まりました。 「農薬を使っていない田んぼで、自然のホタルが飛んでいるのを見ました」
パーソナリティの方も「いわき市内でも自然のホタルを見る機会はなかなか無いんですよ!」と驚いていた貴重な目撃談。しかし、そのメッセージでは、肝心の「場所」にはあえて触れていませんでした。
少し考えてみれば、その理由はわかっていただけるでしょう。 もしラジオを通じて具体的な場所が広まってしまえば、見物客が押し寄せ、車のヘッドライトや騒音によって、ホタルが生きられる繊細な自然環境があっという間に壊されてしまうからです。
このラジオ越しの出来事は、東京で暮らしていた頃の「ホタル鑑賞」の常識と、地方移住で見つけた「本当の豊かさ」の違いを、私に強く実感させるものでした。
作られた「イベント」と、失われた原風景
50年あまりを過ごした首都圏での暮らしの中では、「ホタルを見る」といえば、それは特別な「イベント」として消費されるものでした。
コンクリートとネオンに囲まれた都内の高級ホテルや、美しく整備された庭園が主催するホタル鑑賞会。あらかじめ設定された限られた予約枠をパソコンの前で取り合い、決して安くはない入場料を支払う。そして当日は、ロープで仕切られた順路に沿って大勢の人の列に並びながら、決められた時間の中で鑑賞する……。
そこにあるのは、人の手によって水温や環境が綿密に管理され、都会の真ん中に見事に“演出”された「エンターテインメントとしてのホタル」です。もちろん、都会で自然を感じられる素晴らしい取り組みではありますが、それはどこか「お金を払って自然を買いに行く」ような感覚が拭えませんでした。
思えば、私が育った昭和50年代の首都圏の郊外には、まだ本物の自然が日常のすぐ隣にあふれていました。春には近所の沼でオタマジャクシがいくらでも捕れ、夏になれば林に入ってカブトムシやクワガタムシに胸を躍らせ、秋には空を覆うほどのトンボの群れが飛び交う。
しかし、街が発展し、圧倒的な便利さを手に入れることと引き換えに、そうした「季節ごとの当たり前だった命の営み」はいつしか全て失われてしまったのです。
語られない余白が想像力をかき立てる
だからこそ、今日ラジオから流れてきた数秒のメッセージは、私の心を強く揺さぶり、全く違う景色を想像させました。
誰かが「ホタルのために」高いお金を払って管理しているわけではない、名もなき田んぼ。農薬を使わずに土地を守る農家さんの日々の営みと、いわきのありのままの自然が重なり合い、生活圏のすぐそばでひっそりと命が光っている。
しかしホタルを見た具体的な場所については一切触れられていません。
あえて語られないその空白から、「むやみに人が押し寄せて環境が壊れないように」という自然への配慮や、地域の人々がそっと見守っている美しい情景が頭に浮かび、強く想像力がかき立てられたのです。そこには、入場料も特別な演出もありません。
見えないからこそ満たされる、移住の幸せ
私自身、そのホタルが飛んでいる場所がどこなのかは分かりません。もちろん、無理に探しに行こうとも思いません。
けれども、「このいわき市内のどこかに、ホタルがそっと命を輝かせている名もなき田んぼが確かに存在している」。 その事実が自分の生活圏のすぐそばにあると分かっただけで、なんだかとても満たされた、幸せな気持ちになりました。
地方移住の豊かさとは、決して「大自然の絶景を毎日見に行くこと」ではないのだと思います。目には見えない場所で続く自然の営みに思いを馳せ、それが自分の住む街にあることを誇りに思えること。それこそが、お金では買えない何よりの贅沢なのかもしれません。
これから移住を検討される方も、パンフレットに載っている分かりやすい観光地だけでなく、こうした「見えないけれども確かにそこにある豊かさ」に、ぜひ思いを巡らせてみてください。


