今年も、3月の終わり頃から我が家のすぐ脇にある山でウグイスが鳴き始めました。東京周辺の都市部で50年あまりを過ごしてきた私にとって、かつてウグイスの声といえば、わざわざ計画を立てて出かける「旅行先」で耳にするものでした。それが今では、朝起きて窓を開けたとき、あるいは家族を駅まで送る車中など、私の「普段着の日常」の中に当たり前のように溶け込んでいます。
福島県いわき市に移住して、早いもので2年目に入りました。
生活の立ち上げやローカルな道路の運転など、移住直後のバタバタもすっかり落ち着いた今、ふとした瞬間に「ああ、いいところに住んでいるな」と新鮮に満たされる日々を送っています。
しかし、私がこのブログを通じて本当に伝えたいのは、「地方暮らしは自然があって素晴らしいですよ」という、ありきたりな移住のすすめではありません。
この記事を一筋に貫く大きなテーマは、たった一つ。
「あなた自身の価値観は、一体何ですか?」ということです。
もし、かつての私と同じように、都会の暮らしの中で「本当にこのままでいいのだろうか」と心が揺れているなら、どうか少しだけ立ち止まって、この先を読み進めてみてください。
メディアのブームや「一時の条件」に躍らされる住まい選びの危うさ
今、首都圏では特定の地域が「子育てにやさしい街」としてメディアで大々的にブームになり、多くの現役世代がこぞって引っ越していく現象が起きています。
実は、かつて私たちが暮らしていたのも、まさにそうした注目を集める街でした。当時、私たちがその場所を選んだ最大の理由は、「都心への通勤が便利だから」という実利的なものです。
しかし、移住して2年目に入った今、少し長い視点で人生を俯瞰してみてほしいと感じるのです。
「子育て期間」というのは、私たちの長い一生のなかで、一体どれほどの割合を占めるでしょうか。子どもに手がかかり、地域の制度や環境の恩恵をフルに受ける期間など、せいぜい10年から15年程度に過ぎません。
「今、便利そうだから」「子育てに有利そうだから」
それだけの理由で、一生を過ごすかもしれない大切な住処を決めて、35年ローンで家まで買ってしまって、本当にいいのでしょうか。
子どもはやがて巣立ち、独立していきます。その時、手元に残った重いローンの返済と、自分自身のこれからの人生において、その街は本当に自分が「やすらぎ」を得られる場所であり続けられるでしょうか。
一時のトレンドや、目先の「条件」だけで居場所を選んでしまうことには、ライフステージが変わった瞬間に強烈なミスマッチを起こし、人生の逃げ場を失ってしまうという落とし穴が潜んでいるのです。
乗り換えの便、快速停車駅……私たちが縛られていた「会社中心の枠組み」からの解放
多くの人にとって、都会にそびえ立つ高層ビルは「成功の象徴」のように映っているのではないでしょうか。かつての私もまた、そうした高層ビルのオフィスに勤務していた一人でした。
外から見上げるその姿はきらびやかで、最先端の洗練された世界そのものに見えます。確かに、高層階の窓から見下ろす都会の景色は素晴らしく、筆舌に尽くしがたいものがありました。
しかし、外観の華やかさとは打って変わり、一歩足を踏み入れたその内部は、驚くほど無機質な空間でした。
そして何より、そのガラス張りの絶景の手前には、いつも上司の机がありました。
どれほど窓の外に美しい景色が広がっていようとも、それを眺める私の視界には、常に自分を管理する存在が入り込んでくるのです。他人の視線を気にしながら、その無機質な空間に座っていると、自分が巨大なシステムの一部として組み込まれているような、言葉にできない強い息苦しさを感じずにはいられませんでした。
今なら、冷静にこう思えます。
「素晴らしい景色を見るだけなら、たまに観光用の展望階に行けばいいだけの話ではないか」と。
毎日その空間で自分をすり減らしてまで、私が守ろうとしていた「ステータス」とは、一体何だったのでしょうか。
私たちは知らず知らずのうちに、「乗り換えの便が良いから」「快速停車駅だから」という外面的なスペックだけで住む場所を決め、会社中心の生活の枠組みに、自分の人生を無理やりハメ込んでいました。
それは、日々のあらゆる瞬間に潜んでいます。
たとえば毎朝の通勤。たとえ乗り換えの便が良い始発駅を選んだとしても、ラッシュ時間帯になればそこでは壮絶な「座席争い」が起き、ひとたび座席が埋まれば、今度は「吊り革のポジション争い」が始まります。
一歩外に出れば、「あの人はどんな会社で、どんな家に住んでいるのか」という無意識の比較やマウンティング、周囲のペースに遅れまいとする同調圧力が渦巻いている。
そうした「他人の目を気にし、小さな枠組みの中で自分をすり減らし続ける静かな競争」に、私たちは大切なエネルギーを消耗させられていたのです。
しかし、現代は大きく変わりました。
今では、一定のスキルさえ身につけていれば、日本中、世界のどのような場所にいたって仕事を創り、生きていくことができます。会社や利便性という枠組みに自分を合わせる必要は、もうどこにもないのです。
外面的な便利さに隠された「無駄な争い」から、思い切って一歩外へ降りてみる。その選択肢が、今の時代には確かに用意されています。
背伸びも、卑屈さもない――いわきの自然の中で取り戻した「等身大の自分」
都会のそんな「静かな競争」から思い切って一歩外へ降りて、移住して2年目。いま私のベースにあるのは、そうした無駄な争い事が一切ないという、圧倒的な安心感です。
過度な比較も、周囲の目を気にするようなギスギスした摩擦も、ここにはありません。だからこそ、周りと比べて無理に背伸びをすることもなく、逆に圧倒されて卑屈になることもない。
「等身大の自分」のままで、のびのびと居られる。それこそが、私の生活の原点となっています。
そんな等身大の暮らしに寄り添ってくれているのが、すぐ隣にある自然です。
今も、家のすぐ脇の山でウグイスが綺麗な鳴き声を響かせています。また、家族を駅まで送っていくときも、市の中心街へ用事で向かうときも、私は山の谷間を縫うように走る道路をドライブします。
都会にいた頃なら、わざわざ遠出をして「消費」していたような大自然の景色が、ここでは毎日の生活のなかにごく自然に、密着した形で存在しているのです。
この些細で、けれど何物にも代えがたい豊かな余白が、私の心をいつもフラットに、心地よく満たしてくれています。
成功する移住の最初のステップは、自分の「心の声」に耳を傾けること
乗り換えの便が良いから、快速が止まるから、ブームの街だから……。
外面的な条件やスペック、流行だけで居場所を選ぼうとすると、いつまでも「会社中心の枠組み」や「他人の目がある競争」から抜け出すことができません。せっかくの移住も、ただ場所を変えただけの「条件探しの延長戦」になってしまうリスクを孕んでいます。
成功する移住において、最も大切な最初のステップ。
それは、世間の流行や外面的な条件を一度すべて手放し、「自分自身の心の声に耳を傾けること」です。
「自分は、一体どんな瞬間にやすらぎを感じるのか」
「長い一生のなかで、本当は何を大切にして生きていきたいのか」
一定のスキルがあればどこでも仕事ができる今の時代だからこそ、その問いに対する答え、つまり「自分自身の価値観が何なのか」を明確にすることこそが、すべての土台になります。
私が移住前に勉強として読んだ本のなかには、こんな素晴らしい先人たちの事例(いずれも独身の方々でした)が紹介されていました。
- 本当にサーフィンが好きだからと、房総半島の海岸のすぐそばに移住した人
- 益子焼の魅力に心底惚れ込んで、栃木県に移住した人
彼らは「通勤に便利か」「ブームの街か」といった世間のものさしではなく、「自分が心から愛するもの」という、自分だけの価値観に100%従って居場所を決めていました。だからこそ、彼らの選択には迷いがなく、独自の豊かな人生を切り拓いています。
私の場合は、それが「周りと比べずにいられる等身大の自分でいること」であり、家の脇で鳴くウグイスの声や、山の谷間を縫う日々のドライブの中にありました。
あなたにとっての「やすらぎ」や「理想の日常」は、きっとまた違う形をしているはずです。
住む場所を決める前に、まずは静かに自分の心と対話してみてください。ブームの誘惑に惑わされず、あなたの心の中にある本当の声に耳を傾けること。それこそが、自分らしく生きる豊かな人生の、間違いのない最初の手順なのです。


