いわき市の誕生秘話:5市4町5村の合併と地域課題解決への挑戦

いわき市豆知識
この記事は約5分で読めます。

「いわき市ってどんなところだろう?」と疑問に感じたことはありませんか?

また、いわき市がどのようにして誕生したのか、その歴史に興味を持たれる方もいられるかもしれません。

現地での移住相談のとき、いわき担当の移住コーディネーターさんから、次のような説明がありました。

いわき市は、合併する前の市町村の名残りがいまでも各地区に色濃く残っていて、車で10~20分移動するだけで、各地域ごとに異なる表情を見せるんです

いわゆる「平成の大合併」は記憶に新しいところですが、昭和40年代前半になぜこのような大合併が行われたのだろう?

今回は、その謎について深堀りしてみました。

その結果、いわき市誕生の物語には、エネルギー革命や産業転換など、いわき市が乗り越えてきた多くの挑戦が詰まっていました。

この記事では、いわき市がどのようにして現在の形になったのか、そしてその背後にある歴史や地域課題の克服について詳しく解説します。

いわき市の合併とその背景に迫りながら、この都市がどのようにして変化を遂げ、現在に至ったのかを一緒に見ていきましょう。

私にとってのいわき市:通過点から永住の地へ

妻と出会って彼女がいわき市出身だと知るまでは、私にとって「いわき」は青森へ向かう途中の通過点、ただそれだけの場所でした。

私がよく利用していた「上野発の夜行列車」は、仙台まで行くルートに2つの選択肢がありました。

一つは宇都宮、福島を経由する東北線回り、もう一つは水戸、いわき(当時は「平」)を経由する常磐線回りです。

東北新幹線も未開通の当時、常磐線ルートは「ゆうづる」と呼ばれる寝台特急が主力で、最盛期には一晩で7往復も運行していました。

私は「ゆうづる」の常連でしたが、いわき市の中心である平駅を通過するのはいつも深夜。

乗客も寝静まった列車は平駅を通り過ぎ、外の景色を見る機会もほとんどありませんでした。

私にとっていわき市は、そのような夜の静寂の中でただ通過する都市の一つにすぎなかったのです。

しかし、今回の移住検討で、いわき市について改めて知るようになり、この都市が実は数々の歴史的背景や地域課題を乗り越えて成り立っていることを学びました。

特に、1966年の大規模な市町村合併によって現在のいわき市が誕生したという話はとても興味深いものでした。

1966年のいわき市誕生:5市4町5村の大合併とその背景

いわき市が誕生したのは1966年のことです。

この合併は、磐城市、内郷市、常磐市、平市、勿来市、石城郡小川町、遠野町、四倉町、川前村、田人村、三和村、好間村、双葉郡久之浜町、大久村という5市4町5村が一体となって実現しました。

当時、日本は石炭から石油へのエネルギー革命の真っただ中にあり、いわき市も大きな課題に直面していました。

1950年代からの石炭産業の衰退に伴い、地域経済は深刻な影響を受けていました。

エネルギー政策が石炭から石油へと移行する中で、現在いわき市となった市町村は、持続可能な地域経済を築くために、大規模な合併を決断したのでした。

こうして誕生したいわき市は、現在では東北地方でも最大の工業都市の一つとして、新たな発展への一歩を踏み出したのです。

常磐興産の観光産業転換と雇用維持の成功

炭鉱産業の衰退が進む中、石炭採掘を事業の中心としてきた常磐炭礦株式会社(現・常磐興産)は、地域経済を支え、最後まで残った従業員の雇用を守るために観光産業への転換を決断します。

特に、映画『フラガール』で描かれた『現:スパリゾートハワイアンズ』の開業は、その成功例です。

観光リゾートへの転換は、地域内の雇用を維持し、さらには新たな観光資源として国内外から多くの観光客を引き寄せ、いわき市に経済的な活力をもたらしました。

この転換によって、常磐興産はただ観光業への進出に成功しただけでなく、地域の従業員たちの仕事を確保し、炭鉱産業に代わる持続可能な経済基盤を築くことができたのです。

いわき市全体にとっても、観光産業への転換は重要なターニングポイントであり、地域課題を乗り越える一つの大きな解決策となりました。

次に、いわき市が新産業都市としてどのように発展していったのか、その背景を見ていきましょう。

新産業都市への道:いわき市の大合併と地域発展

いわき市は、1962年に政府が制定した『新産業都市建設促進法』のもと、新たな成長を目指して5市4町5村の大規模な合併により誕生しました。

当時、石炭から石油へのエネルギー革命が進む中、地域経済は大きな課題に直面していましたが、これを乗り越えるために、新産業都市としての発展を決断したのです。

この法律の第23条には、『新産業都市としての一体的な建設を促進するためには、市町村合併による規模の適正化が必要である』という規定があり、現在のいわき市となる市町村は、この条文に基づき、周辺の自治体と合併することで、ふさわしい規模と体制を整えることを目指しました

こうして、1966年に5市4町5村が合併し、現在のいわき市が誕生したのです。

この合併は、単に市町村が一つにまとまっただけでなく、新産業都市としての発展基盤を整えるための重要な決断だったのです。

合併後、いわき市は産業基盤の整備や工業化を進め、東北地方最大の工業都市へと成長を遂げることとなりました。

いわき市は、こうして地域課題を乗り越え、持続的な発展の道を歩んでいます。

今も地域課題に正面から向き合ういわき市

いわき市広報誌『igoku』13号 特集 いわきの地域医療『攻めと守り』

これまで、いわき市はエネルギー革命や産業転換、そして東日本大震災からの復興といった数々の地域課題を乗り越えてきました

そして現在も、人口減少や少子高齢化、観光産業の持続可能性、医療・福祉の充実といった新たな課題に直面しています。

特に、高齢化が進む中で、医療や福祉サービスの確保は地域住民にとって切実な問題となっています

さらに、観光産業の持続可能性を維持しながら、地域の産業を多様化させる必要もあります。

しかし、これまでに幾多の困難を乗り越えてきたいわき市だからこそ、地域の課題解決に正面から向き合う気質が根付いています。

持続可能な社会を目指し、医療や福祉の充実、地域産業・観光資源のさらなる発展を図ることが、次の課題です。

これらの課題に対して、これから市民となる私たちも、その一翼を担う時が来るかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました