高橋優さんの名曲『明日はきっといい日になる』。その冒頭の歌詞を聴くたびに、私は頭をガツンと殴られたような、いたたまれない気持ちになります。
“勇気出して 席を譲ったら断られて変な空気になって 気持ちが凹んで…”
誰もが一度は経験、あるいは目撃したことがあるかもしれない「善意のすれ違い」。 実は私、この歌詞に出てくる「譲られたのに断って、相手の気持ちを凹ませてしまった側」の人間でした。
2015年に大病を患い、大手術の結果、足首が麻痺して杖をつく生活になった私ですが、当時は立っているだけなら全然平気だったのです。
そのため、自分の中に「障害者」という自覚が薄く、せっかくの親切を丁寧にお断りしていました。
なぜ、私はその後、立っていられる状態であっても「あえて、喜んで席を譲っていただく」ようになったのか。今はいわき市に住んでいますが、あの時、都会の満員電車で私が見た景色と、そこから学んだ「本当の優しさの連鎖」について、少しお話しさせてください。
車内で目撃し続けた「むき出しの悪意」と「冷酷な無関心」
私が毎日のように乗っていたのは、つくば方面から秋葉原へと結ぶ路線でした。朝夕の混雑が激しいその車内は、お世辞にもマナーが良いとは言えない空間でした。
ある朝のことです。北千住駅に近づき私の目の前の席が空いたのですが、足が不自由な私は、走行中の揺れる車内で身体を器用に反転させて素早く座る、という動作ができませんでした。もたついている私を見て、隣にいた男性が「そこ、空いてんのかよ」と苛立った声をぶつけてきたのです。無理な体勢でようやく腰を下ろした私に、その人は舌打ちをしてこう吐き捨てました。
「チェッ、何だ。障害者かよ」
見ず知らずの他人に、あえて意識しないようにしていた境界線を土足で踏み荒らされたような、言葉にできない衝撃でした。
悪意だけではありません。新御徒町駅から乗る帰り道では、ドアが開くなり何不自由なく動ける人たちが私を差し置いて優先席を占有していくのが日常茶飯事。時には席まであと1mというところで席が先取りされることすらありました。さらに車内を見渡せば、優先席の前にヘルプマークをつけた人が立っていても、座っている3人全員が「タヌキ寝入り」を決め込み、薄目を開けても気づかないフリをする。朝のラッシュ時に、動きが遅いからと突き飛ばされる人や、赤ちゃんを抱え、おそらく2人目を妊娠しているであろう女性が無視される風景も何度も見ました。
下りエスカレーターで右側を駆け下りてくる人に衝突されて怪我をしたこともあります。車の運転に例えるならば、まさに「当て逃げ」状態でした。「ここは危険だ。自分の身は自分で守らなければならない」と痛感した私は、杖の握り部分に目立つ赤いヘルプマークをつけるようになりました。それは社会の冷たさに対する, 私なりの切実な「盾」であり、精一杯のサインでした。
優先席の沈黙と、一般席に灯る「本当の善意」
衝突の恐怖から身を守るために付けたヘルプマークでしたが、車内に入ると、私はむしろそれを目立たせないように、札の部分を手で隠すようにして握っていました。「席を譲ってくれ」と周囲にアピールしているように見られるのが嫌でしたし、あの日の北千住のような悪意の視線が怖かったからです。
そんな風に、私がひっそりと息を潜めるように立っていた夕方の帰り道。信じられないことに、そんな私を見つけて座席を譲ってくださる方がいたのです。
驚いたのは、それが「優先席」に座っている人ではなく、ごく普通の「一般席」に座っている人であることが圧倒的に多かった、ということです。
優先席でタヌキ寝入りをしている人々は、ルールのある場所にいるからこそ、逆に「気づかなかったこと」にしようと必死に目を閉じていました。しかし、一般席に座っている人たちは違います。譲る義務などない場所にいるのに、私が手の中に隠していた小さなヘルプマークや杖の存在にそっと気づき、自らの意志で立ち上がってくれたのです。
隠そうとしていたサインを見つけてくれた、その確かな目と、心からポッと灯った本物の思いやり。
都会の満員電車の暗闇の中で、その一筋の善意の光がどれほど尊く、ありがたかったか。彼らの差し出してくれる手の温かさが、それまでの車内の寒さを一瞬で溶かしていくようでした。
「ありがとうございます」で繋ぐ、本当の優しさの連鎖
隠されたサインにそっと気づいて差し出された、心からの善意。それが義務やルールではない「本物の優しさ」だと痛いほど分かったからこそ、私の心にある決定的な変化が生まれました。
「自分はまだ立っていられるから」と頑なに断ることは、かつての私がそうだったように、勇気を出してくれた相手の気持ちを凹ませてしまうかもしれない。せっかく灯った美しい善意を、そこで拒絶してしまうのはあまりにもしのびない。
そう気づいてから、私はたとえその時大丈夫であっても、あえて喜んで「ありがとうございます。助かります」と笑顔で席を譲っていただくことに決めました。
それだけではありません。自分が降りる段階でその方がまだ車内にいれば、「ありがとうございました。おかげさまで助かりました」と声をかけ、逆にその方が先に降りる時にも、同じように感謝を伝えるようにしたのです。
あの歌の歌詞のように、席を譲って変な空気になって凹む人を、一人でも減らしたかった。譲ってくれた名もなき誰かの一日が、私の「ありがとう」によって、本当にもっと良い日になってほしい。そう強く願うようになりました。
善意は、差し出された瞬間ではなく、受け取る側が感謝でしっかりと受け止めた瞬間に、初めて完成するものなのだと思います。
エピローグ:あの激しい景色を通り過ぎて
あの頃、毎朝毎夕、むき出しの悪意やタヌキ寝入りの沈黙、そして一筋の温かい善意に一喜一憂していた満員電車の景色も、今では大切な過去のログ(記録)です。
私は現在、そんな都会の喧騒を離れ、福島県いわき市に移住して穏やかな日々を過ごしています。
あの過酷な通勤ラッシュから解放され、温かい時間が流れるいわきで暮らしているからこそ、あの殺伐とした空間で触れた「一般席の善意」のありがたみが、よりいっそう深く、鮮やかに思い出されます。
あの時、私の手の中のヘルプマークに気づいて立ち上がってくれたあの人の優しさは、今でも私の心の中で、いわきの温かい風とともに優しさの連鎖を紡ぎ続けています。

